1980年代後半、日本のパソコン市場はNECの「PC-9801」シリーズが絶対王政を敷いていました。そんな中、突如として現れた「EPSON PCシリーズ」は、単なるコピー品ではない強烈な個性を放つ「挑戦者」でした。当時、限られたお小遣いや給料を握りしめ、秋葉原の電気街で本家か互換機か、究極の選択を迫られたユーザーたちの熱い記憶を紐解きます。
衝撃のデビュー、本家を凌駕した「速さ」と「安さ」
私が初めて[amazon_link product=”EPSON PC-286″]のデモ機を店頭で見た時の衝撃は、今でも忘れられません。当時の本家NEC機よりも一段階上のクロック周波数を持ちながら、価格は一段階安い。スペック表を食い入るように見つめ、「これなら手が届く、しかも本家より速い!」と胸を高鳴らせたものです。
特に[amazon_link product=”PC-286V”]などのV30搭載機は、本家ユーザーを尻目にキビキビと動作し、コストパフォーマンスの概念を日本のPC市場に叩き込みました。エプソンの筐体はどこか垢抜けていて、重厚なNEC製とは違う「新しい時代の道具」という佇まいがありました。
避けては通れない「EPSONチェック」との攻防戦
しかし、互換機ユーザーの道は平坦ではありませんでした。最も大きな壁、それが「EPSONチェック」です。NEC純正のソフトウェアが起動時に「これはPC-9801ではありません」と非情なメッセージを吐き出し、強制終了する光景は当時の「あるある」でした。
これを回避するために、有志が作成したパッチを当てたり、[amazon_link product=”互換BIOS”]の設定を煮詰めたりする作業は、今のPC自作以上にスリリングな体験でした。動かなかったゲームがパッチ一枚で動き出し、あの「ピポッ」という起動音が鳴り響いた瞬間のガッツポーズ。あの達成感こそが、互換機を使い倒す醍醐味だったと言えるでしょう。
省スペースの革命児「ブック型」と「ノート型」
エプソンの功績で忘れてはならないのが、日本の住宅事情にマッチしたコンパクト設計です。[amazon_link product=”PC-286L”]に代表されるラップトップ機は、巨大なブラウン管モニターから解放される自由を教えてくれました。
また、[amazon_link product=”PC-486MU”]のようなブック型機は、狭い机の上でもCバスの拡張性を捨てずに済む魔法の箱でした。あの独特の「カチッ」とはまる専用フロッピーディスクドライブの感覚や、限られたリソースの中でグラフィックを動かす工夫には、当時の技術者の執念すら感じます。
令和に蘇らせる、青錆と液漏れとの戦い
今、押し入れに眠っている[amazon_link product=”EPSON 98互換機”]を復活させようとすれば、新たな「戦い」が待っています。最大の敵は、4級塩電解コンデンサの液漏れによる基板の腐食です。
かつて実機をバラした際、内蔵電池の液漏れで基板が青白く錆びついているのを見て、絶望したファンは少なくありません。しかし、[amazon_link product=”ハンダ吸取線”]を片手にコンデンサを打ち替え、回路をバイパスして再び電源を入れる。ファンが回り、懐かしいFM音源のメロディがスピーカーから流れてきた時、私たちは再びあの1980年代にタイムスリップできるのです。
挑戦者のスピリットを語り継ぐ
EPSONの98互換機は、単なる廉価版ではありませんでした。独占状態にあった市場に競争を持ち込み、ノートPCの普及を加速させた真のイノベーターです。
本家へのリスペクトを持ちつつ、あえて「互換機」という茨の道を選んだ当時のユーザーたちは、誰よりもパソコンという機械の構造を深く理解し、愛していたのではないでしょうか。その情熱は、今もなお実機を整備し続ける愛好家たちの手によって、令和の時代にも静かに、しかし力強く生き続けています。
この記事に登場した当時の周辺機器や、現在のメンテナンスに必要な工具などについて、具体的な選び方をお手伝いしましょうか?


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