1980年代後半から90年代にかけて、日本のパーソナルコンピュータ市場を席巻していたのは間違いなくNECのPC-98シリーズでした。しかし、その「本家」に真っ向から挑んだ熱い存在を忘れることはできません。エプソンの互換機シリーズです。
今回は、当時のユーザーが実機で格闘し、時に感動した「EPSON 日本語 DISK BASIC」の世界を、実体験に基づいた視点で深掘りします。
互換機の誇り!EPSON版BASICとの出会い
当時のマイコン少年やビジネスマンにとって、[amazon_link product=”EPSON PC-286″]や[amazon_link product=”PC-386″]シリーズは、本家よりも「安くて速い」魅力的な選択肢でした。箱を開け、最初にドライブAへ差し込むのは、システムディスクと書かれた一枚のフロッピーディスク。
電源を入れた瞬間、ピポッという快音(これは本家譲りですが)と共に立ち上がるのは、NECのそれとは微妙に雰囲気が異なる「EPSON 日本語 DISK BASIC」の画面です。
「本当にPC-98のソフトが動くのか?」という不安を抱えつつ、FILESコマンドを打ち込んだ時の、あのキビキビとしたディスクアクセスの速さには、互換機を選んだ優越感すら感じたものです。
本家N88-BASIC(86)と何が違ったのか?
実際にプログラムを組んでみると、EPSON版は単なるコピーではないことが分かります。
1. グラフィック描画の独自拡張
多くのユーザーが驚いたのは、グラフィック処理の柔軟性です。EPSONの[amazon_link product=”PC-486″]時代になると、独自のハイレゾモードや高速描画コマンドが追加されており、本家ではカクついていた描画が驚くほどスムーズに動くケースがありました。
2. 漢字変換と日本語入力
「日本語 DISK BASIC」という名の通り、日本語の扱いは生命線でした。当時の[amazon_link product=”1.2MBフロッピーディスク”]に収められた辞書ファイルを参照しながら、Ctrl+Xや特定のファンクションキーで日本語モードへ切り替える儀式。あの独特の変換候補の出方は、今思い出しても指先が感覚を覚えています。
3. 互換性の壁という「洗礼」
もちろん、全てが順調だったわけではありません。市販のゲームソフトや、雑誌に掲載されていた「マシン語」を多用するプログラムを走らせると、VRAMのアドレス指定の僅かな違いで画面が崩れることもありました。
「EPSON機なら、この一行をこう書き換えれば動くはずだ」
そんな試行錯誤こそが、当時のユーザーを技術的に成長させてくれたのです。
現代に蘇らせる:起動と使い方のコツ
もし今、手元に[amazon_link product=”EPSON PCシリーズ”]の実機があるなら、あるいはエミュレータで当時の環境を再現したいなら、以下の手順が基本となります。
- ディスクの準備: 専用のシステムディスクが必要です。MS-DOS上で動く「GW-BASIC」とは異なり、ディスクから直接ブートするスタンドアロン形式が一般的でした。
- 起動: ドライブAにディスクをセットしてリセット。画面上に「EPSON BASIC」のバージョン表記が出れば成功です。
- コマンドの実行:
LOAD "filename"でプログラムを読み込み、RUNで実行。このシンプルな流れが、当時の全能感の源泉でした。
まとめ:失われない互換機魂
「EPSON 日本語 DISK BASIC」は、単なる代替品ではありませんでした。それは、先行する巨大な規格に対し、いかに効率よく、いかに付加価値を付けるかという、当時の日本のモノづくりの結晶だったと言えるでしょう。
[amazon_link product=”レトロPC”]の修理やメンテナンスは年々難しくなっていますが、あの青白い画面に刻まれた緑色の文字と、ガリガリと鳴り響くFDDの音は、今も私たちの記憶の中で鮮明に生き続けています。
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